私的賛歌

私賛

備忘録、私記

我輩はヘロヘロである

ここ2週間休んだこともあり昨日あたりからかすかな気力が湧いてきている。

やらなければいけないこと、やりたいことをまとめる時期であろうか。

金閣寺を読んだ。

どーせ焼かないだろうと読み進めていた。

初三島であった。初めての人の本や音楽に触れる時は、もしお見合いというものが経験できたならこういったかんじなのだろうと常々思う。

見合いであれば知ってほしい自分を出し、相手もそうである。

誠実にそのままに伝えたい性格や偽り着飾りたい性格、そういった自己のコントロール含めその人である。自分の理想とのすれ違いや葛藤も入り組んでおり、人一人まとめるのも大変なのにそれを伝え理解してもらうことの難しさといったら。多くの人間が何度も何度も直面している。今ある関係がうまく機能していることに感謝し、大好きな人たちや自分のためにできることを考える。

人は結局一人とはよくいったものだが、人は一人では何にもならないのである。

金閣に見出した美とは何だったのだろうか。人は絶対的な拠り所を必要とするがそれが金閣か?拠り所など何でもいいのだ。不変を恐る性質ゆえ神など物などに拠り所にすることもある。気の入れの強さから身近な人を拠り所とする人もいる。一長一短である。

人については信じることができない。関係性やその人の組成が変わってしまったら過去には戻れないだろう。

そういった意味で不変的な、物質的なものに寄り添うことで少なくとも私は安らぐことができる。前述、人はダメだといったが、人のある一点を不変として扱うこともできる。それがある一点での作品という形になった人だ。

人を愛している人はいるのだろうか。その人のある一点を愛していているのを盲目的に、無意識に引き伸ばしているだけではないだろうか。

 

それはそうと久しぶりの文章楽しくて仕方がない。

好きだよ文章を書くのが。

 

くだらない漫画を読む生活。こんなにひどい漫画がアニメ化するのかとゾッとした。

世の中のことはほとんどわからない

私はこのままではダメなのだろうか

愛されたい

頑張りたい