私的賛歌

私賛

備忘録、私記

グロテスク

四人の女たちの話 

 

はじめは主人公である わたし が語っていくスタイル。

主観的に物語を見ていくので読み手である私もそのままストーリーを追っていたのだが、途中で他の人物の手記がそのまま載せられることにより、この語り手の信憑性が薄れていく。

 

結果として(ネタバレしまーす)、

わたしは羽化をする。ひねくれ、意地を張るのをやめる。

あれだけコンプレックスを持っていたユリコと同じ道を進もうとする。

わたしは可愛いユリコが、ユリコの美しさ大好きで憧れて手に入らなくってひねくれて。すごく人間っぽい。

 

たくさんの人間がそれぞれの人間っぽさで生きていく。ちゃんと自らの醜さや欲や弱さと向き合って。

最終的に物語の終わりまでで、全員の道は一般的に幸せとは言えない結果になった。けれど、一般的に幸せと思われている道よりももしかしたらそういう人生は幸せなのかもしれないし、私達誰しもが大小はあれ憧れのようなものを持っている。そういう部分を描いているのかなあ。

 

人間の本質はすごくグロテスクで醜い。生物なのだからそれは当たり前だと思う。私は幸せに生きたいけど、人や自分の汚いところも綺麗なところも向き合ってぶつかって理解して昇華させていきたいとも思っている。だけどやっていけなくなってきた。疲れたなあ。みんなはそんなことに労力使わわずに生きてるのかなあ。

 

せっかく生きて、脳があって積み上がった文化があるんだから興味のある理解できそうなことはどんどん吸収していきたい。知る や 体験 が私の生きていく意味なのでしょうか。